■横浜のれん会

 創業、天保10年。
 江戸の札差し(大名相手に米の買売商)泉屋平佐衛門は、機を見て横浜に移り、掘割の土手で葦ず張りの屋台に人夫・商人相手の江戸前寿司で大いに評判を取った。
 泉屋から取った泉平としたが、店の井桁のマークは札差しの祭、住友家から気に入られ、使用を許された、といわれている。
 泉平と名づけたのは2代目平吉で、高野山の参詣に出かけ、そこで食したいなりずしの味に惚れ込み、身分を明かした上で、つくり方を伝授された。
帰浜すると、味の研究に打ち込み、一般大衆に合うよう味も甘くするよう工夫した。3代目は明治中ごろ横浜寿司組合設立発起人の一人だった。

 日本では一番早く洋画を封切るオデヲン座をはじめ映画・芝居の劇場が目白押しの伊勢佐木町だったからだ。大型の油揚げで巻きずしという独特のいなりずしを工夫して人気の泉平だった。
 この賑いも大正12年9月1日の関東大震災までだった。復興した街並みが横浜に登場するには2年かかっている。
 泉平もこの震災や戦中・戦後の食糧統制にもめげず頑張りつづけ、古いのれんと伝統の味を守り、戦後発展の礎となった。
 細く長い俵形をしたいなりずしは、ふつう量の倍はある。いきおい「お持ち帰り」が多く出る。のり巻きといなりのセットの『まぜ』アジの押し寿しがやはり人気。

 とくに大正時代には、隣接の伊勢佐木町の興行街の賑わいの影響で、映画・芝居の客が観劇用の弁当、おやつに、また劇場帰りはお家人への土産用として、深夜から明け方になっても、これらの店につめかけ、列をつくったと語り草となっている。
当時の界隈への客のつめかけ方は浅草六区をしのぐともいわれた。

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