池波正太郎は書いている。
「以前の、いかにも牛鍋屋らしい店構えが、近年はすっかり改装されてしまったけれども、何といっても安くてうまい」
イセぶらも4丁目のこの辺りになると曙町2丁目の本店のまわりに原色の派手な看板の店が並んできて、ネオンをチカチカさせる。そんな中で、佳き時代の古いたたずまいを強く残している店で、あたりのケバケバしさを無視したかのようである。
創業は牛鍋全盛の明治28年。故郷の武蔵野を後にして出てきた荒井庄兵衛が創業者。「開化のお味は路面電車のお値段で」PRも堂に入っている。庶民の食べ物と謳(うた)い、牛めし・牛そばがチンチン電車の初乗り運賃と同額にしたのが当たった。あまり甘くない醤油味で煮込んだ牛鍋をビヤ酒(気発の酒・ビール)で楽しみ、その後で飯を食べるのがハマの粋なスタイルともなった。 |
|
いち早く、牛なべ用電気なべ(他店では炭火)を用い、店の庭にはモーターを使って滝を出現させて客をびっくりさせた。
店は横浜大空襲で焼失、登良吉も他界した。
3代目の精一はスイトン屋から出直し、店を見事に再現。4代目の一雄社長は「牛肉を扱う秘訣は仕入れと包丁さばきにある。肉は切り方ひとつで軟らかくも硬くもなる。店では、仕入れは「半丸」(一頭の半分)が原則。包丁さばきは永年のベテラン料埋長の指揮のもと、毎日包丁で切り分けているという。
メニューは銘柄牛のコースのほか「牛なべ定食」「牛さしみ」「牛皿」など。ほかにも、しゃぶしゃぶ、オイル焼、ビフテキなど和風牛肉料理なら何でも揃う。入り口は二つ。1階は気軽に入れるテーブル席。2階は宴会用のお座敷席で、個室のほか60人までの広間があり、適当に間仕切りもできる。 |